2008/05/10

彼らがくれた勇気

19歳の時、この国は豊かだと気付いた。
海外にごまんといる貧しい人々、子どもたちのことを知った。
それは私が児童福祉の専門学校に通っていた時のことだ。
それからずっと海外の子どもたちへの想いは私の心から消えることなく、
海外に出るため必死でお金を貯め、2007年1月、私は世界中の施設を巡る長い旅に出た。
誰かを助けられるんじゃないかという甘い期待を胸に……

物乞いが仕事のストリートチルドレンと遊んだり、エイズ発症後の人々の身体介護、
津波で家を無くした人々の家も作った。
世界中の孤児院、障害児施設を周れるだけ周って私が出来る限りのことを
してきた“つもり”だった。

ある時アフリカの孤児院に滞在していた時のこと。
孤児院のスタッフにお金を取られたことに気付いた私は、そのスタッフたちに軟禁された。
つまりその時に突きつけられた現実。
彼らは私の小さな助けより、切実にお金の方が大事なのだ。
これが現実だった。
私には何も出来ない。
私が誰かを助けられるなんてただの思い上がりだったと気付かされた。
その時に私が身をもって受けた現実の大きさは衝撃的で、
その痛みは思いの外大きく、その後も色んな施設を回ったものの、
どこか心は此処に在らずだった。
もちろんそんな施設ばかりではなかったけれど……

そして3回目のインドに来た時のこと。
私は南の孤児院へ出向いた。
1人の寂しさはもうどうしようもなく、自分だけでは対処出来ず、海外での夢、
国際協力への情熱は消え失せ、本気で帰りたかった。
でも最後に力を振り絞って行ったインドの南の孤児院で、私は勇気をもらった。

そこには、夫婦が作った施設に70人の子どもたちが溢れ返っていた。
決められた規則に従って、毎日の生活をこなしていかなければならない70人の子どもたち。
食べ物を粗末にしない教えから、小さな小さな子どもたちは、吐くまで食べさせられ、
ボロボロの服を着ていた。
たった4歳5歳の子どもでさえも、自分の洗濯、掃除、入浴、病気、
その全てを1人で戦わなければならない現状。
悪いことをすると、木の棒で叩かれて、泣いて、怖がって、泣いて
……それでも甘えられるのは先生とその孤児院を仕切る夫婦の大人たちだけ。
しかし、そんな彼らが、満面の笑みを私に毎日プレゼントしてくれたのだ。

私の福祉への志などお構いなしに、
愛に飢えている子どもたちは私の心の隅まで押し寄せて来た。
こんな子どもたちは見慣れていたはずなのに、心を見透かされる思いだった。
出来る限りの愛を注ぎ、そして結果的にその愛よりも何十倍と大きな愛、勇気、
元気をもらった。忘れかけていたものを思い出させてくれた上、
さらに子どもたちへの想いを掻き立てられた。

私はそんな子どもたちに胸を打たれた。
今でも考えると苦しくなる。
親がいないことを、小さな体で食いしばって、必死で生きてる子どもたちを想うと……
強く、逞しく生きていて、なくなりそうな小さな私の心に海外に残れる勇気をくれたように、優しい子に育っていって欲しい。
彼らがくれた勇気は今も“ココ”にある。