2008/09/20

高橋歩と出会って

灼熱のバラナシ学校作りから帰国して早3ヶ月。
10月から第2期工事のゲストハウス内装作業を有志のボランティアで行なうという話になって、
私も参加するつもりでいた。

今年、インドで高橋歩と出会った。
そして歩さんが運営する西麻布のバー、ボヘミアンで久しぶりに会うことになった。
そしてそして、歩さんから突然の一言。

「まいこに学校を任せようかと思ってる」と。

最初は何を言ってるのか分からなかった。
その時歩さんは酔ってたし。(笑)
後日、ちゃんと話をきいた。
1階の学校の管理や先生たちへの指導、子供たちへの教育、
2階のゲストハウスの運営。バラナシに滞在するスタッフをやらないか、と頼まれた。
それは私にとって、夢のような話だ!
海外でボランティアを始めて4年、長期で海外へ出て1年半。
約30ヶ国をまわって
ただただ巡り合わせの場所でボランティアをしてきた。
疲れては旅をし、また施設を巡っての出発……

そして行き着いた先。
この話が舞い降りてきて、めちゃくちゃ嬉しかった。
今までやってきたことが報われて、どんどん形になっていく気がして。
夢が叶った気がした。

だから、やります、私!!!

そんな話をもらってから約3週間の日々の中、
少しずつ私にも気持ちの変化があるようで……
やっぱり不安もでてくるでてくる!
インドの村に一人での滞在。
学校もゲストハウスもちゃんと運営していかなきゃいけない。
どれくらいいることになるのか、さっぱり予想もつかない。

こんな私で大丈夫なの……
きっと寂しいなぁ〜……って、それはもう分かってる(笑)
でもやれるだけやってみよう!
とりあえず、運命の国? インド。
インド人のガメツさに喧嘩し、インド人のあほさに爆笑し、
そんなことを何度経験しただろう。
きっとこれからもそんな感じなのかな。(笑)
忙しくなりそうです。


……と、いうことで
インド、バラナシで頑張ります!
皆、インドで待ってます!
いつも応援してくれて心配してくれて、今まで支えていてくれたみんな、本当にありがとう。
海外で出会ったみんな、辛い時、話聞いてくれてありがとう。
これからも遠い地でまたスタートすることになったけど、よろしくね。

2008/06/01

私らしく生きてる!

今日もまた、ガンジス川のある、聖地バラナシの1日。

たち込める悪臭。牛。押しが強くてしつこいけど、素直でかわいいインド人。
そんなこの地で、私は今、高橋歩さんと学校に行けない子どもたちのための学校を作っている。
5月10日から始まった学校づくりは、45度を超える日々、
レンガを運びコンクリートを混ぜ、壁を塗りペンキを塗り、
6月10日の開校式に向けてみんなで頑張ってます。

いつも寝る前に考える。
明日は誰と話そう!
誰と遊ぼう!

明日も村の子どもに会えると思ったら、心がすっごいワクワクする!
明日も沢山の日本人のみんなと働けると思ったら、眠れなくなるほど毎日が楽しい!
これが“愛”ってやつ?(笑)

毎日泥んこで汗だくだけど、やっと今……

“私らしく生きてる”

と言える。

2008/05/10

彼らがくれた勇気

19歳の時、この国は豊かだと気付いた。
海外にごまんといる貧しい人々、子どもたちのことを知った。
それは私が児童福祉の専門学校に通っていた時のことだ。
それからずっと海外の子どもたちへの想いは私の心から消えることなく、
海外に出るため必死でお金を貯め、2007年1月、私は世界中の施設を巡る長い旅に出た。
誰かを助けられるんじゃないかという甘い期待を胸に……

物乞いが仕事のストリートチルドレンと遊んだり、エイズ発症後の人々の身体介護、
津波で家を無くした人々の家も作った。
世界中の孤児院、障害児施設を周れるだけ周って私が出来る限りのことを
してきた“つもり”だった。

ある時アフリカの孤児院に滞在していた時のこと。
孤児院のスタッフにお金を取られたことに気付いた私は、そのスタッフたちに軟禁された。
つまりその時に突きつけられた現実。
彼らは私の小さな助けより、切実にお金の方が大事なのだ。
これが現実だった。
私には何も出来ない。
私が誰かを助けられるなんてただの思い上がりだったと気付かされた。
その時に私が身をもって受けた現実の大きさは衝撃的で、
その痛みは思いの外大きく、その後も色んな施設を回ったものの、
どこか心は此処に在らずだった。
もちろんそんな施設ばかりではなかったけれど……

そして3回目のインドに来た時のこと。
私は南の孤児院へ出向いた。
1人の寂しさはもうどうしようもなく、自分だけでは対処出来ず、海外での夢、
国際協力への情熱は消え失せ、本気で帰りたかった。
でも最後に力を振り絞って行ったインドの南の孤児院で、私は勇気をもらった。

そこには、夫婦が作った施設に70人の子どもたちが溢れ返っていた。
決められた規則に従って、毎日の生活をこなしていかなければならない70人の子どもたち。
食べ物を粗末にしない教えから、小さな小さな子どもたちは、吐くまで食べさせられ、
ボロボロの服を着ていた。
たった4歳5歳の子どもでさえも、自分の洗濯、掃除、入浴、病気、
その全てを1人で戦わなければならない現状。
悪いことをすると、木の棒で叩かれて、泣いて、怖がって、泣いて
……それでも甘えられるのは先生とその孤児院を仕切る夫婦の大人たちだけ。
しかし、そんな彼らが、満面の笑みを私に毎日プレゼントしてくれたのだ。

私の福祉への志などお構いなしに、
愛に飢えている子どもたちは私の心の隅まで押し寄せて来た。
こんな子どもたちは見慣れていたはずなのに、心を見透かされる思いだった。
出来る限りの愛を注ぎ、そして結果的にその愛よりも何十倍と大きな愛、勇気、
元気をもらった。忘れかけていたものを思い出させてくれた上、
さらに子どもたちへの想いを掻き立てられた。

私はそんな子どもたちに胸を打たれた。
今でも考えると苦しくなる。
親がいないことを、小さな体で食いしばって、必死で生きてる子どもたちを想うと……
強く、逞しく生きていて、なくなりそうな小さな私の心に海外に残れる勇気をくれたように、優しい子に育っていって欲しい。
彼らがくれた勇気は今も“ココ”にある。